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鯖街道 小浜西組を巡る まち歩き

小浜のサバはなぜうまいのか?

鯖街道の起点

「京は遠ても十八里」小浜市から京都まで約70kmです。京都から一番近い海が小浜の若狭湾だったこともあり、早朝に小浜の若狭湾で水揚げされた鯖に一塩して、大急ぎで京の都まで鯖街道を通じて運ばれました。

鯖はとても傷みやすい魚なので、京都に向かって運び出す前に下処理した鯖に一塩することで、鮮度をキープすることができます。一塩する効果はそれだけではなく、一塩した鯖を一晩寝かせているうちにタンパク質がアミノ酸に変わり旨味が増します。

夜通し歩いて京都に着くころには、鯖がちょうど良い具合に熟成してとても美味しい味わいになっていたのです。京都の料理人はこの「若狭の一塩もん」を買い求め、鯖についた塩をぬいて酢や昆布でしめて鯖寿司にしていました。

旭座の懸魚

福井県唯一の明治期の芝居小屋を移築復原した「旭座」。 旭座は当時、非日常で魅力的な空間として庶民に親しまれ、港町として栄えた小浜の娯楽文化を象徴する建物だったと言われています。

主に、庶民の芸能娯楽場、講演会や演説会、祝賀会、憲政会党員大会などを開催する、小浜の大集会施設として使用されていました。昭和初期から戦後にかけては映画館としても活用されていました。
その後は倉庫として利用されていましたが、建物の軸組みや痕跡が良好に残っており、完全復原が可能であることがわかりました。

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小浜西組の玄関

地面の色が変わったら「小浜西組」と呼ばれる城下町のはじまりです。古い町家を見つけたら玄関のマークに注目してみましょう。たとえば、ここには井戸の「井」という字の中に、数字の「二」というマークが記されています。

これは、この家の中に2つの井戸があることをあらわしています。また、井の中に何も書かれていなければ井戸は1つ。井の中に「泉」というマークがあれば、家の中に湧き出す泉があることを示しています。つまり、小浜は食の根本となる水があちこちで湧き出す港町なのです。

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八幡神社の船玉

ここに「船玉社」と呼ばれる社があります。その中には船の形をした御神体があります。

船といえば、リアス海岸は天然の防波堤になるため、舟を停めやすい港でもありました。そのため、古くから東北や九州から舟が集まるだけでなく、ときに、大陸や朝鮮半島からの舟もやってきました。

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空印寺の洞窟

ここには、「若さ」にまつわる、とある伝説が残されています。

むかしむかし小浜で美しい女の子が生まれました。すくすくと育った女の子はある日、父親が竜宮城から持ち帰った「人魚の肉」を口にします。すると、不思議なことに何年経っても16歳の姿のまま、年老いることがなくなりました。そして、120歳になったころ、出家して尼さんとなり、全国を旅しながら各地でさまざまな奇跡を起こします。

やがて、800歳になったころ。時は室町時代、京都で目撃された尼さんは醜い老婆の姿になっていました。親しい人に先立たれてもなお、自分だけが生き続けることに疲れたのでしょうか。それから故郷の小浜に戻り、この洞窟に入り、そのまま出てくることはありませんでした。

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後瀬山城の山並み

ここから見える山並みに古くからの山城がありました。小浜の水はこの山々から湧き出して豊富な恵みをもたらしてくれるのですから、神様のような権威が感じられたことでしょう。しかし、江戸時代になると、港の近くに小浜城が築かれます。その城下町として鯖街道の起点となる市場が整備され、商人たちが暮らす町として小浜西組が発展していきます。

時を同じくして、小浜でこれまで以上に大量の鯖が捕れるようになります。一晩で200本釣った漁師もいて、一塩して京都に運んだほか、干物にして江戸までも運ばれました。当時は両親の健康を願って鯖をプレゼントする風習が流行るなど、鯖は健康に良いものとして、長生きの象徴とされたのです。

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三丁町の蓬嶋楼

三丁、つまり300mほどの長さがある三丁町。ひとたび足を踏みいれると家を潰すまで遊んでしまうと言われた茶屋町で、北前船で一財産を築いた商人たちの社交場でした。その景気の良さは、節分で豆を巻くかわりに銀の玉をばら撒いたといわれるほど。

お金持ちの彼らは何を食べていたのでしょう。三丁町の料亭では京都の最新の食文化を味わうことができました。鯖ではありません。鯖はたくさん捕れるようになったことで庶民の食べ物に。そのかわりにツウの人たちは鯛を求めるようになりました。若狭の鯛は小ぶりで人魚のように美しく、めでたいものですから料亭にはぴったりです。

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小浜公園と若狭湾

ここに小浜西組の地図があります。まだ一本の道を歩いただけ。ここから先は自由に散策しながら「御食国若狭おばま食文化館」に向かいましょう。その前に、ここから若狭湾の風景を望んでみてください。小浜のこれまでの歩みを知ったあとでは、見方が変わっているのではないのでしょうか。

鯖街道が運んだのは鯖だけではありません。塩、水、ゾウ、昆布、鯛、そのほかにも、近くの湖で捕れた鰻を活きたまま京都に運んだり、「雲上の珍味」と絶賛された鰈も有名でした。そうして、いろいろな海産物が「若狭物」というブランドとなり、京都の市場に並びました。その光景は現在も変わっていません。

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御食国若狭おばま食文化館

かつて鯖街道の起点にあった市場は、このエリアに移転しました。ここに来るまでに水産加工のお店がたくさん立ち並んでいる様子を見たでしょう。この光景こそが、小浜の歴史の集大成のように見えてきます。

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