しほんぼくしょ いんかじょう
紙本墨書印可状 附紙本墨書大高重成書状、絹本著色大年和尚頂相図、紙本墨書履践集
紙本墨書印可状 印可とは、許可する、承認するという意味で、仏僧が弟子に悟道の熟達を証明する際に用いられます。また、武術や芸道の皆伝免許にも使われることがあります。 この印可状は建武4年(1337)12月12日に、安国高成寺の開山である大年和尚に、その師である竺仙梵僊が与えたものです。紙本墨書で、法量は縦33㎝、横95㎝です。竺仙梵僊は元の時代の禅僧で、字を竺仙といい、古林清茂に師事して学徳を積み、我が国に渡来しました。北条氏に鎌倉へ迎えられて浄妙寺で法を説き、その後、足利尊氏も帰依しました。大年和尚は竺仙が鎌倉浄妙寺にいた頃に参禅し、道念についての教えを受け、確固とした勉学が認められました。印可状の冒頭にはそのことが述べられており、最後には自他ともに認めて悟道に入り、竺仙の香を引き継ぐ者は法延であるとし、三宝を証明としてこの書を記すと結ばれています。 紙本墨書履践集 桐箱に収められた履践集は、大きな和綴じの紙本墨書です。著者は安国高成寺開山の大年和尚で、伊予の出身です。大年和尚は竺仙に参禅し、印可を得て三宝を相伝しました。足利尊氏も帰依し、若狭安国寺の創建の際に大年を開山としました。この書は観応2年(1351)に書かれ、当時の寺僧が守るべき規律や規範を示すとともに、禅僧の生活を率直に語った貴重な文献です。大年和尚が亡くなる前年に残した「法延置文」の峻厳さと比べ、より柔らかさが感じられます。 紙本墨書大高重成書状 高成寺という寺号は、足利尊氏が若狭に建立した安国寺の堂宇が康永3年(1344)に炎上した際、守護大高重成が再建したことに由来します。そのため、重成の書状は寺宝として極めて重要です。大高重成は通称次郎、のちに伊予守と称しました。尊氏に仕え愛され、長刀を振るうことで武名を馳せた武人です。若狭安国寺の開祖は大年和尚ですが、尊氏も重成も篤く帰依していました。書状は大年和尚が堂宇について重成に書を送ったことへの返答で、重成が建立地を見立てて支障がないと伝え、代官に手筈を進めさせる旨を記しています。宛名には「延首座禅師」とあり、左下には「御返事」と書かれています。開山と大檀那との深い関係を示す資料であり、また室町初期の書道資料としても貴重です。 絹本著色大年和尚頂相図 絹本著色のこの1幅は縦121㎝、横52㎝で、二重の桐箱に収められています。安国高成寺開山・大年和尚の頂相です。頂相とは禅宗の祖師や先徳の肖像画で、鎌倉から南北朝・室町時代にかけて盛んに描かれました。禅宗では一師一証の面授を重んじるため、印可状と並び頂相も尊重されました。本図は大年和尚が没した貞治2年(1363)の前後に描かれたものと考えられます。賛は大年の自賛ではなく、武田元光の子で建仁寺に出家した春沢永恩によるもので、弘治2年(1556)の筆です。全体にけばけばしさはなく、柔らかい色調で、落ち着いた表現となっています。悟りの境地にある大年和尚の姿を伝える優品です。 管理者:高成寺
基本情報
| 種別 | 書跡 |
|---|---|
| 指定区分 | 国 |
| 文化財名 | 紙本墨書印可状 附紙本墨書大高重成書状、絹本著色大年和尚頂相図、紙本墨書履践集 |
| 員数 | 1幅 |
| 時代 | 南北朝(1337年) |
| 指定日 | 1914年4月17日 |
| 地区 | 小浜 |
| 法量 | 紙本墨書印可状:縦33㎝ 横95㎝ 絹本著色大年和尚頂相図:縦121㎝ 横52㎝ |
| 一般公開 | 非公開 |